あたまのうしろ

根暗学生の雑記

何にもしたくないのに進まなきゃいけない

そろそろ同期たちの卒展も終わって、いよいよ春かー。復学が近いからか、不安定な感じ。

院進を考えていたところから一転、グチャグチャになって授業も院試もばっくれ、休学。
大学の居心地の悪さや、就活に対する不安、そこから来る憂鬱感・無力感・死にたい気持ちなどから、むしろさっさと就活すれば解決するんじゃないかという判断で進学はやめようかなと。
もともとあった制作や研究への気持ちも、自信と一緒にどこかへ行ってしまった。あとは、休学するまでの間に担当教員への信頼が底をついたのも…。

ポジティブな理由といえば、3年付き合ってる恋人と同じタイミングで卒業できることくらいか。良くないことかもしれないけど、精神的に支えてもらってやっと生きてる部分が多いので、遠恋になって私のメンタルが潰れると厄介。全然ポジティブじゃないけど。

ぶっちゃけ就職に対するモチベーションが全くなくて、困る。
結婚して生活していくために収入は必要だけど、そもそも「生きてて何かしたい」って気持ちがない。

生きていけない感

調子のいいときも増えてきたけど、やっぱりたまに「生きていけない感」がグワーッと押し寄せてきて、辛くなる。
生きていけない感というのは、多分私みたいな、(悪い意味で)真面目で無気力で、不安すぎて自己愛から目が離せない人。なら分かるんじゃないかな…。あとまだ就活してない人。

生きていける場所がどこにもない感じ。
誰も助けてくれない感じ。
強すぎる自己愛を手放したいけど、それを誰も補ってくれない感じ。
今ある関係が全部空っぽなものに思えてくる感じ。

一言で言うと「孤独感」だとは思うんだけど、それよりもっと絶望的な感じ。
孤独+自己嫌悪みたいな。もう全部だめじゃんっていう。

セロトニンがどうとかじゃなくって、実際にダメな自分がここにいる限りどうしようもないんだって。
かといって今から躾けてくれる場所も人もないし。

これから人並み以上に失敗ばっかりで生きていくんだ、って覚悟ができない。

ブログ名を変えてみた

新しい年も始まったし、気分転換にブログ名を変えてみました。
「ろぐ」というには読み返したくないことが多すぎたし、ちょっと記事も整理しつつ。

「あたまのうしろ」というのは、私が好きになるようなものをぎゅっと濃縮したみたいな、お気に入りの言葉です。
作品のためかは分からないけど、そういう因数分解みたいなことをよくしています。

このブログで作品を公開したことは今のところないけれど、いつかは制作記録なんかつけられたらいいな。

「真面目教」をやめた

真面目にやっていれば必ず報われるから、自分も周りもそうするべきだ。っていうのをすっぱりやめた。
というか気づいたらやめられてた。

真面目教、すごく窮屈だった。
大学に行く度、真っ昼間に、曜日が違うゴミ捨ててる人とか見るような気持ちがして、それが自分をたたく鞭でもあった。
だけど信じても信じても助けてくれなかった。

薬を飲んでも、嫌なことを話し尽くしても、ダメな自分を許そうとしても、なんか全部うまくいかなかったんだけど、いまちょっと楽だ。
なんでかはまだ良く分からないので考えよう。
あと、メンタル弱った人が宗教に依存しちゃうとか、宗教で争い事が起きる感じがちょっと分かって怖かった。

ゴミはちゃんと捨てるけどさ

いったん空っぽになる

「真面目にやってる」ことばっかりを盾にして、うまくいかなくて不貞腐れて。そんな感じだったのが徐々にマシになってきた気がする。引きこもってるだけだけど。

「真面目に」「誠実に」という言葉にとらわれそうになったら、石田徹也の絵とか、カフカの小説を思い出したりして、持ち直してみる。あと、正しいことなんかどこにもないって思ってみる。

むちゃ食いが収まってきてるかも。

劣等種

人並みの努力で人並みに生きたいって思うのが、憂鬱になる原因なのかもと思う。
私の考える人並みが、高すぎる理想だとか、そういう話じゃない。

私の心配事はほとんど、周りの人にとって「考えすぎ」だったんだけど、じゃあ、そう言う友達と同じように自然と「心配する必要はなくて、考えすぎなんだ」と考えて生きていけるかというと、無理。
そうするための訓練はいくらでもあるかもしれない。カウンセリングとか、認知行動療法とか、私もいくらか取り組んできた。

だけど、何もかもに意味をつけようとするのに疲れた。
私の子供時代がどうだったとか、家族がどうだとか、今の気持ちだとか。元気に生きられないのはどうしてだろう、とか。
意味なんかないし、これが普通なんだと思う。外に出たら嫌な思いをするかもしれないのは本当だし、人と話したら殴られるかもしれないのも本当だと思う。疑いようがない。
心配しすぎなんて言葉にも意味がない。

やっぱり、麻痺することでしか社会の中で生きていけない。嫌な気持ちを忘れて働けるようにするしかない。
人並みに生きるために、人より耐えるしかない。

ずっと死にたかったかどうか

やらなくちゃいけないことでパンクして、初めて実家に電話した日、本当にそうだったのかは分からないけど「ずっと死にたかった、小さい頃から」と言ってしまった。
すると、母が「一生懸命育てたのに」と泣きながら怒って出ていってしまった。
でもその後、隣で寝ようと言ってきて、隣に布団をしいて寝た。手を繋がれたりしたけど、とても怖かった。

ずっと死にたかったなんて大げさすぎるし、絶対信じてもらえないけど、覚えてる限りでは小学生の頃に、確かに考えたことがあった。
学校を休みたくて仕方なかったり、2階から飛び降りたら怪我くらいできるかなあとか考えたり。
何が楽しくてあんなに良い子にしてたんだろう。今思うと、先生は私が男の子にぶたれると分かっても家まではついていてくれなかったし、両親も、自由にしていいって言ってた気がしたのに。
あんなに楽しかった高校時代も、なぜか死にたいことがあった。あんなに自由だったのに、何もしたいと思えなかった。しなきゃいけないことは山ほどあった。
自分がしたいことと、しなきゃいけないこと、した方がいいことが全部ごちゃごちゃで、意欲があるんだと思ってた。
しなくていいなら、したくないことばっかり。今も、なんだか義務感とか色々で、苦しい。