あたまのうしろ

根暗学生の雑記

生理が生活を台無しにする

生理ってあるじゃないですか、生理。
女性のいくらかには共感できると思うけど、人生を蝕んでいく病気みたいなもの。
できれば産みたくない自分をイライラさせるもの。どんなに抗うつ剤が効いても憂鬱になるしかないもの。
女性が女性をやめたいと思うときは、理由の大半がこれだと思う。

最近は知らない人も少なくなってるとは思うけど、生理前の女性は破壊衝動がすごい。なんか赤黒いオーラが出そう。
ちょっと火種があったりすると、本当に殺人や傷害に発展しかねない。そんな精神状態。
今も下唇を噛み締めたり拳を握ったりして耐えている。

生理痛がありえんという話もよくある。私は軽い方なので弱い痛み止めをジャンジャン飲んで越せるからマシ。
といっても、体質以上に生活習慣の問題らしいので、結構酷い方のも経験したことがある。痛すぎて嘔吐した。
最近許しがたいのは、生理前1週間くらいからの眠気。寝付けない、寝たら起きれない、起きても眠い。
コーヒーは生理前後の症状を悪化させるというけど飲むしかない。眠くて何もできないんだから。

漢方を買ってくるのもいいんだろうけど、薬局で売ってるやつがクソ高い。(しかも低用量ピルは売ってない。)
普段から薬漬けなのにさらに薬代かかるとか、腹が立つ。

生活習慣をきちんとしろって、アホか。そんな面倒くさいことしないと生きていけないなら、子宮なんかいらない。殺してやる

根暗と服飾

ファッションってあるじゃないですか。大学生になるまで殆ど興味がなかったので、以前はよくトンチンカンな格好で出かけていました。
今はちゃんとしてるのかと言われると、微妙だけども…。

性別のせいもあってか、自分が普通の格好をできているかどうかってすごく自信とか安心感に関わってくる。歪んでるのかなあ。
ファッションにこだわりのありそうな人から「いいね」と言われたりすると、気分いいよね。これユニクロだぜ、って。

(女性がド・カジュアルな格好をしてると「女として終わってる」という言葉を使われたりするよね。ジーンズにパーカー、スニーカーで黒髪一本縛り、みたいな。
男性の場合は知らないけど、そういう価値観抜きに付き合ってるコミュニティがけっこうありそうに見えるなー。もしかしたら自慰をしなかったり、大きい鞄を持ったりすると「男として終わってる」と言われる世界があるのかもしれない…。)

なんにしろ、ファッションというのは結構人の価値観とかが見えて面白い気がする。
私の場合は「見た目はそこまで気にしないけど、一般的な若い女性ともかけ離れすぎてない人間ですよ」というアピールのために服を買う。できるだけ安く。
電車でGO!のあるゲームセンターまで電車でGOしたりしてると、お金ないからね。それでも世捨て人に見えないように。

極端に楽をしようと思ったら安いとこでマネキン買いというのもできるけど、そうすると私のファッションに対する「流行なんて陰謀じゃ、クソくらえ」という気持ちに合わない。あと大抵のお手本って着てる人を明るく見せるものだからか、根暗が着るとキョロキョロした根暗に見えてひどい。
ファッションが上手な人は全身どこにも黒がない格好とかするけど、私は落ち着かないんだよなー。

明るく見せることをやめたら、服が似合うようになってきて、楽しい気がする。
髪は黒。鞄も黒。靴も黒。
ファッション雑誌にはそんな人いないけど、私はそんな感じです。

のびのびして、やや嫌われる

色々あったからか、価値観が合わない人が増えてきた。
最近は同じような留年メンヘラの人と話したり、懐かしい友達に会ったりもするけど、同じような境遇とか、同じ時間を共有してたとか、それくらいじゃ全然埋まらない。
もともと他人に興味がないのもあって、普通に会話するのもけっこう難しい。相手に対して共感できないし、向こうからは軽蔑されることすらあるし。
前提が違いすぎて、無意識に自分を「もっと普通の人」(特定の誰かではなくて)と置き換えて話したりするので、どうにもレスポンスが遅れたり辻褄が合わなくなったりする。

逆に、ちょっとはみ出た者同士でワイワイするのはとっても楽しい。
普段の雑談にはとても使えないような、しょうもない考え事に付き合ってもらえる。すっごい不謹慎な話ばっかりだけど。
それぞれ自分の価値観と話す内容を完全に切り離してるというか、議論モードで小学生レベルのくだらない話をしてるような感じ。楽しいよ。

人付き合いは難しくなってきたけど、自分自身は今が楽なんだよなー。
もともと人と合わない形をしてたのかもしれない。無理やりねじ込んでニコニコしてきたけども。

関係

一方的にえんがちょされた友達のことをたまに思い出してモヤモヤしたりする。
自分も悪いけど、相手だってそこまでする?という感じ(主観)。とてもグレー。謝りはしても、言ったことの撤回はしたくないような。

大学入って、はじめての恋人ができて、いちばん好きな友達が去って。逆のパターンの自分を想像して羨んだりする。逆ならまた逆だろうに。
なんでこう恋愛って、友達付き合いに悪影響を及ぼすんだろうね。浮かれたり、くだらなくなったり、価値観まるだしになったり。

謝り倒したいような、許せないような。好きなような嫌いなような。もう3年くらい経つんだろうか。
異性同士だったらよかったのに。それが一番簡単。

(ああ、私は同性とでも付き合えると思ってたけど、やっぱり異性愛者なんだよなー。
付き合うまでの苦労とかその後の世間体とか、家電みたいに比べちゃって、異性の方が楽だ、そっちにしよう、と考えちゃう。
みんなそうでしょ。頭ではどっちでも愛せると思ってるけど、他のいろんなものに流されて異性と付き合って子供を産む。)

友達って関係はいくらでも作れて替えがきくように錯覚するけど、その人との関係はたったひとつしかない。
今更気づいたってしょうがない。悔しくて苦しい。やっぱりもう嫌いになったのかもしれない。
だけどこんなにも執着して、戻りたいと思うなんて、好きなんだろうな。

いつになったら、もう関わることもないって思えるんだろう。いつまで再会する夢を見続けるんだろう?(ポエムではなくて、本当にここ数年見続けていて、覚める度に落ち込んでる)

なんか、アレだな。
ファフナー見たせいにしよう。

このブログの今までとこれから

お題「私はなぜブログを続けているのか」
心境も変わってきて思うところがあったので、良さそうなお題を持ってきてみた。

元々このブログは、知り合いに見られたくないネガティブな気持ちをぶちまける場所として作った。
ザ内向的・かつ内気で自信なし・社会不適合ぎみ。そんな自分が何も気にせずに弱音を吐ける日記帳みたいなもの。
それ以前から日記を書こうと試みたことは何度もあったんだけど、自分しか見ないからか、呪いじみたノートができあがったりした。殴り書きの線とか、涙でにじんだインクとか…。

人に見られる可能性があると思うとちょっとはマシな文章にもなるし、特にはてなだと(実際にはそんな見てもらえてなくても)、他のブログと並んでる感じがして落ち着く。
好きなブログが近所にあって、ちょっと勇気が出るような。ほとんどアクセスのない私のブログでも、閉塞感なく続けられてる。

それで、そんなしょうもない内容を書き続けて1年経ってしまうんだよね。
ここで息継ぎをする事が多かったかな。辛うじて言葉っていう網に引っかった気持ちを文字にしてた。
(これ、芸術療法かなんかの本で見た表現で、とても心に残ってる。「言葉という網に引っかからない思いを、芸術によってすくい上げる」という感じだったかな。)

最近は留年して吹っ切れたり、投薬が上手く行っていたりで気持ちが楽なので、以前ほど切実な投稿はしてないけども。溺れて死にかけながら書いてるようなね。
それじゃあ何を書くべきか、と考えたりしてる。

なんとなーく芯になりそうなのは、

  • 人に見られて初めて意味があるようなことは向いてない
  • 良いこと・楽しいことばっかり書きたくない
  • 人に言いづらいような考え事を自由にしたい
  • 自分を理解したい

これくらいかなと思う。こういう内容って他の人にとってはほとんど価値がないことが多いから、めったに話す機会とかがないんだよね。
かといって、考えた残りカス(表現の仕方が分からない)があると次の思考のじゃまになることがある。近くにあるとくっついちゃったりして。

物を考えるのが好きな私にとって、ブログにぶちまけるというのは掃除というか、片付けというか、ゴミ出しみたいなものなんだ。多分。必要で、気持ちのいいこと。だから続けてるんだと思う。
あー結局は、変わらなくていいんだろうな。今までと変わらず、考えたけど言う場所のなかったことを、それなりに分別して、ぶちまけていくよ。

過食しなくなったこと

しつこいようだけど薬が増えて普通に生活できるようになった。ので、以前から何度も挫折してた減量をはじめていました。といっても特別何かするわけではないけど。

何度も挫折したっていうのは、体重と食べたものを記録して食べすぎないように管理する、というだけのことが全然できなかったからです。

毎日憂鬱でどんなことも満足にできないと感じていたし、気を紛らす手段が食べる以外になかった。今思うとちょっとヤバいくらいには我慢がきかなかったなー。

色んな人に太ったって言われて、自分の体が嫌で嫌で、断食したらついでに死ねるかなーなんて思うこともあった(どうしたいかも分からなくなっている)。ストレス発散で食べまくって、太って、人に言われてストレスが溜まってまた食べて。40キロもないような友達が外食に誘ってくるのも嫌だった。

高校くらいから、女性であることがすごく嫌だと思うことがちょくちょくあったので、それも絡んでずっと悶々としてた。私の体についてどうして他人から口出しされなきゃいけないのか。それは女だから?って。 

 結論から言うと、食べることくらいしか満足にできないような状態で、食べることまでやめる必要はなかったんだと思う。

むしろ、薬がないと眠れなかった中で、過食気味ではあっても食事ができたこと、わりと大切だったんじゃないかな…。

精神的に安定してきてからは、食事の管理がそんなに辛くないです。驚いたのは、食べることへの関心が(前と比べて)とっても低いこと。コンビニに行ってもあれこれ買いたくならない。甘いもの食べてても途中でやめられるし、お腹空いたまま寝られるし。

スマホアプリでカロリー計算をして、ちょっと歩くように気をつけただけで、おっさんみたいな出方をしてた腹がマシになった気がする(まだ大分ぶよぶよしている)。

痩せてる人ってずっとこういう感じで生活してるんだろうなー。大半は普通の人より我慢強いというより、精神的に余裕があるんじゃないかな。

食べてしまうことについて、自分の忍耐力のせいにする必要はなくて、むしろ、食べる以外に逃げ道のない自分を心配した方がいいのかもしれない。

 

ちなみに、太りまくって食べることが怖くなり、いよいよやばいぞと思った時もありましたが、そういう時にはブックオフでアンチダイエットの本を買ってきて読んだりしてました。

うさんくさいなーと思うような本でも、とにかく拒食にならないように書いてくれてるものが多いので。

 

一般的なうつ病じゃなくても抗うつ剤が効いたこと

そろそろ精神科に通いはじめて1年くらい経つのかな。今も病名とかは分からないままですが、薬を増やしてもらったらいつの間にか普通に生きられてます。
授業行ったり、課題やったり。洗濯したり、掃除したり、ごはん作ったり。あれ、今までの生活って何だったんだろうと思った。ずーっと靄がかかってたような。

変化が急すぎて、これが躁転ってやつかーと覚悟したりもしたけど、薬を増やしたときのイライラも最近は収まってきた。寛解?でもないか。そもそもうつとかじゃないだろうし。
今は「楽しいも悲しいも脳みその具合なんだなー薬があるから安心だ」くらいに思ってます。いや、薬が効いてるからそう思えるのかな。

今日書きたかったのは、うつってほどじゃないけどずっと不安で生きづらい、と思う人は効くまで薬を飲んだり調整してみたら希望があるかもよ、ということです。私みたいな人だったらの話だけど。「人格改造マニュアル」などを読むと少し元気が出て、不安との付き合い方もちょっと変わる気がします。
私の場合は、昔から暗くて鬱々としてたしそういう性格なんだなー人より生きづらい感じに生まれてしまったんだなー。というのが邪魔して通院の度に「大丈夫です眠れてます」で済ませてたのが最大の間違いだったなあ。自分の心や思考が薬でなんとかなるなんて思っていなかった。


まあ、先のことは本当にわからないけど、今はわりと楽天的です。
一生薬漬けだとしても、そんなに怖くない。合法な手段で普通に生きられるんだし。